クラーク博士像の謎を解く|指差す方角と2つの像に隠された歴史秘話
「少年よ、大志を抱け(Boys, be ambitious)」のフレーズとともに、右手を斜め前方に掲げる威厳に満ちた立ち姿。北海道旅行の象徴として誰もが一度は目にするあのクラーク博士像には、教科書や旅行パンフレットの表層的な解説だけでは見えてこない、劇的な都市史の裏側と緻密な造形美学が息づいています。
旅行者の多くが「北海道大学の像」と混同しがちなあの全身立像は、実は札幌市郊外のさっぽろ羊ヶ丘展望台にあります。さらに、右手が指し示している方向には方位学的な方角を超えた思想が宿っており、その建立には昭和期の大学キャンパスを揺るがした「観光公害」が深く関係していました。一次資料や彫刻制作の証言録をもとに、2つの像の決定的な差異から名言の知られざる真相まで、その歴史の全貌を検証します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:右手を掲げる有名な全身立像は羊ヶ丘展望台にあり、北海道大学にある本家は風格ある「胸像」という明確な違いが存在する。
- 要点2:羊ヶ丘の像が指差すのは単なる特定の方位ではなく、「遥か彼方にある永遠の真理(フロンティア精神)」を象徴した動的表現である。
- 要点3:羊ヶ丘展望台の立像は、1970年代に北大構内へ観光客が殺到した混乱を緩和するため、来道100年を機に建立された歴史的背景を持つ。
【2箇所の真実】羊ヶ丘展望台と北海道大学|決定的な違いと昭和の「観光公害」
北海道の象徴としてメディアに登場するクラーク博士像ですが、札幌市内には性格の全く異なる2箇所の主要な像が鎮座しています。一つは緑豊かな牧草地を背にして雄大に立つさっぽろ羊ヶ丘展望台のクラーク博士像、そしてもう一つは、イチョウ並木や歴史的建造物が並ぶ北海道大学のクラーク胸像です。
旅慣れていない観光客の間では、「北海道大学に行けば、あの右手を掲げた全身像に出会える」という思い込みが後を絶ちません。しかし、北海道大学キャンパスの古河記念講堂向かいに静かに佇んでいるのは、右腕のない胸像です。全身を躍動させて風になびくコートをまとう立像は、市街地から南東へ約10キロメートル離れた羊ヶ丘展望台にしか存在しません。
なぜ同じ札幌市内に、形態の異なる2つの像が並び立つことになったのか。その引き金となったのは、1970年代前半に札幌市を襲った急激な観光ブームと、それに伴う大学構内の環境悪化でした。1972年の札幌冬季オリンピック開催を機に北海道観光は大衆化し、北大構内には連日のように大型観光バスが進入。静粛を保つべき教育・研究現場に大量の旅行者が押し寄せ、騒音や無断駐車、ゴミの放置といった摩擦が生じる事態に発展しました。
当時の大学関係者や札幌観光協会の記録によると、学術の府としての教育環境を守りつつ、増加する観光需要を受け止める受け皿が切実に求められていました。そこで浮上したのが、広大な牧草地が広がり、北海道らしい雄大な風景を誇っていた北海道農業試験場(現・北海道農業研究センター)の一角、羊ヶ丘展望台への新像建立計画でした。1976年、クラーク博士の来道100年およびアメリカ合衆国建国200年の節目に合わせて、観光客が心置きなく記念撮影を楽しめる新たなシンボルとして「丘の上のクラーク」が除幕されたのです。

【徹底比較データ】羊ヶ丘展望台と北大キャンパスのクラーク像一覧
旅の計画や現地での混乱を避けるため、両者の性格、立地、造形的特徴を客観的な指標で比較整理しました。
| 項目 | さっぽろ羊ヶ丘展望台(丘の上のクラーク) | 北海道大学札幌キャンパス(クラーク胸像) | 編集部の見解・評価 |
|---|---|---|---|
| 像の形態・ポーズ | 全身立像(右手を斜め前方に掲げる姿) | 胸像(厳格な表情の頭部〜胸部) | 写真映えを求めるなら羊ヶ丘、歴史の重みを味わうなら北大。 |
| 制作者・彫刻家 | 坂坦道(さか たんどう)氏 | 田島亀彦氏(原形)/加藤顕清氏(再建) | 北大像は戦時中の金属供出を経て復元された苦難の歴史を持つ。 |
| 建立時期 | 1976年(昭和51年) | 1926年(大正15年) ※再建は1948年 | 歴史的遺産としては北大が半世紀以上先行している。 |
| 所在地・アクセス | 札幌市豊平区羊ヶ丘1番地 地下鉄東豊線「福住駅」よりバス約10分 | 札幌市北区北9条西7丁目 JR「札幌駅」北口より徒歩約7〜10分 | 北大は駅近で散策に便利。羊ヶ丘はバスや車の利用が前提。 |
| 入場料・見学環境 | 有料(大人600円) 観光施設として整備、土産店・飲食店併設 | 無料(大学構内の自由散策) 教育・研究の場のため静粛なマナーが必要 | 羊ヶ丘は観光に特化。北大は大学の日常にお邪魔する姿勢が必須。 |
| 写真撮影のリアル | 同ポーズでの撮影待ち列ができる人気スポット | 緑に囲まれた台座前で静かに記念撮影 | 定位置での集合写真・ポーズ写真は羊ヶ丘ならではの光景。 |
| ※料金や交通情報は2026年時点の現地公表データに基づく。訪問時は最新の運行ダイヤをご確認ください。 | |||
【ポーズの真相】右手が指差す方角の秘密|「遙か彼方」に込められた思想
さっぽろ羊ヶ丘展望台のクラーク博士像を前にした多くの人が抱くのが、「右手が指差す方角には何があるのか?」という疑問です。「札幌農学校の方向を指している」「故郷のアメリカ東海岸を指している」「北極星を指している」など、インターネット上には諸説が飛び交っていますが、現場の方位を測ると像は南東方向(石狩平野の彼方)を向いています。
しかし、制作者である彫刻家・坂坦道氏が生前に語った創作意図や公式資料を紐解くと、このポーズの本質は単なる地理的な方位指針ではないことが明確に記されています。坂氏は、「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」という無形の精神をどのように立体彫刻として結実させるかに苦心しました。指先が向いているのは特定の建造物や都市ではなく、「遥か彼方にある希望と、人が目指すべき真理」そのものです。
台座の解説文にも記されている通り、掲げられた右手は「あちらにある大志に向かって進め」というメッセージを視覚化したもの。右手を水平ではなく、空に向かって斜め上へと突き出すことで、大地から無限の天空へと広がるフロンティアスピリットを表現しています。背後に広がる石狩平野の地平線と広大な青空が重なり合って初めて、この彫刻の造形は完成を見るように綿密に計算されているのです。

【歴史と功績の検証】滞在わずか8か月|ウィリアム・S・クラークが遺した精神的遺産
北海道開拓史において神話的な存在となっているウィリアム・スミス・クラーク博士ですが、彼が実際に札幌の地に足を踏み入れていた期間をご存知でしょうか。史実における滞在期間は、1876年(明治9年)7月から1877年(明治10年)4月までのわずか8か月余りに過ぎません。
マサチューセッツ農科大学の学長であったクラーク博士は、明治政府の招聘を受けて札幌農学校(現・北海道大学)の初代教頭(実質的な最高責任者)に着任しました。1年に満たない極めて短い滞在でありながら、なぜ150年近く経過した現在もこれほど熱烈に記憶され続けているのか。その理由は、彼が持ち込んだ徹底した「人間尊重の教育手法」にありました。
着任当初、細かな規則で学生を縛ろうとする学校側に対し、クラーク博士は「規則はたった一つで足りる。『紳士たれ(Be gentlemen.)』だ」と言い放ち、規則全廃を断行。学生一人ひとりを独立した人格として扱い、自主自律の精神とキリスト教に基づく高い倫理観を叩き込みました。その精神的指導のもとから、後に新渡戸稲造や内村鑑三をはじめとする、日本の近代化を牽引する思想家・指導者たちが巣立っていったのです。
そして1877年4月16日、任務を終えた博士がアメリカへ帰国する際、現在の北広島市島松にある旧島松駅逓所で、見送りに来た教え子たちと馬上で交わした別れの言葉が、あの名言でした。
【現場取材と実態】観光地としての「さっぽろ羊ヶ丘展望台」と北大散策の現在
現在の現地事情に目を向けると、羊ヶ丘展望台と北海道大学では、訪問者が体験できる時間の質が大きく異なります。
羊ヶ丘展望台は、まさに北海道観光の王道として機能しています。展望台からは札幌ドーム(大和ハウス プレミストドーム)や札幌市街のビル群、雄大な石狩平野を一望でき、初夏から秋にかけては緑の丘に羊が群れ遊ぶ牧歌的な景色が広がります。クラーク像の前では、博士と同じポーズをとって笑顔でシャッターを切る国内外の観光客が列を作ります。台座には「大志の誓い」を投函できるポストが設置されており、自身の将来の夢や誓いを紙に書いて投函すると、後日再び訪れた際に保管された過去の誓約書を閲覧できるユニークな取り組みが定着しています。
一方の北海道大学札幌キャンパスは、観光地である前に世界屈指の総合研究大学です。正門からエルムの森を抜け、中央ローンを左手に進むと現れるクラーク胸像は、木々の緑に優しく包まれ、学問の府ならではの静謐な空気が漂っています。キャンパス内は一般市民や旅行者にも開放されていますが、講義や研究に勤しむ学生・研究者が行き交う生活圏でもあります。近年はキャンパス内の自転車走行マナーや騒音防止の呼びかけが強化されており、北大像を訪れる際は、大学への敬意を持った静かな散策が強く求められます。

【一般に知られていない盲点】クラーク像を巡る誤解と名言の全文の真相
クラーク博士にまつわる言説には、長年の流布によって定着してしまったいくつかの歴史的盲点が存在します。現場取材と大学史料の照合から見えてきた代表的な誤解を是正します。
第一の盲点は、北海道大学の胸像が経験した悲劇の歴史です。1926年に建立された初代の北大クラーク胸像は、太平洋戦争末期の1943年(昭和18年)、戦局悪化に伴う金属類回収令(金属供出)の対象となり、台座から撤去されて溶解されました。現在見ることができる胸像は、終戦後の1948年に教職員や卒業生、市民の熱い募金活動によって再建された2代目です。戦火の混乱を乗り越えて蘇ったという事実は、あまり広く知られていません。
第二の盲点は、「少年よ、大志を抱け」という言葉の真の広がりです。一般的にはこの一節だけが切り取られて広まっていますが、当時の学生たちの回想録や教育史料によると、博士の言葉にはさらに深い真意が込められていたと伝えられています。後世の英語教育誌や証言記録には、以下のような文脈が記録されています。
「Boys, be ambitious! Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement, not for that evanescent thing which men call fame. Be ambitious for the attainment of all that becomes a man.」
(少年よ、大志を抱け。金銭や利己的な立身出世のためではなく、名声と呼ばれるあのはかないもののためにでもなく。人間としてあるべきすべてのものを獲得するために、大志を抱け。)
単なる野心や出世欲ではなく、人格の陶冶と社会への奉仕を求めたこの精神こそが、クラーク博士が最も伝えたかった「大志」の本質でした。
【プロの結論】旅の目的別・後悔しない判断基準
札幌観光において、どちらのクラーク像を訪れるべきか迷った際の明確な判断基準を提示します。
【さっぽろ羊ヶ丘展望台を選ぶべき人】
- 「北海道に来た!」と実感できる、あの有名なポーズで記念写真を撮りたい人
- 広大な牧草地、放牧された羊、名物のジンギスカンなど、北海道らしい観光要素を一箇所で満喫したい人
- レンタカーを利用している、または地下鉄と路線バスの乗り継ぎ時間を旅の行程に無理なく組み込める人
【北海道大学キャンパスを選ぶべき人】
- 札幌駅周辺での滞在時間が限られており、移動時間を最小限に抑えて立ち寄りたい人
- 写真の派手さよりも、100年以上続く歴史的アカデミズムの息吹や歴史的建造物(古河記念講堂や旧札幌農学校演武場など)の雰囲気をじっくり味わいたい人
- 大学キャンパスの静かな緑道を散策しながら、思索を深める旅を好む人
【クラーク博士像】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:全身立像がある「さっぽろ羊ヶ丘展望台」への一番スムーズな行き方は?
A1:札幌市営地下鉄東豊線の終点「福住駅」で下車し、福住バスターミナルから北海道中央バス(羊ヶ丘展望台行き)に乗車して約10分で到着します。札幌駅前からも直通バスが季節運行される場合がありますが、本数と所要時間の安定性を考慮すると地下鉄とバスの組み合わせが確実です。
Q2:北海道大学のクラーク像を見学するのに予約や入場料は必要ですか?
A2:予約や入場料は一切不要です。キャンパスは一般に開放されており、自由に歩いて見学できます。ただし、教育および研究活動を妨げないよう、建物内への無断立ち入りは避け、静かに散策するのがマナーです。
Q3:羊ヶ丘展望台のクラーク博士像の右手と同じポーズで撮影するコツはありますか?
A3:像の正面やや右下から見上げるアングルでカメラを構え、被写体となる人も右手を斜め上方へしっかり伸ばして、背後の広い空をフレームに多く取り込むのがコツです。午前中の順光の時間帯を狙うと、青空とブロンズ像のコントラストが際立ちます。
Q4:北広島市にもクラーク博士の記念碑があると聞きましたが、何があるのですか?
A4:博士が学生たちと別れを告げた歴史的な現場である「旧島松駅逓所(国指定史跡)」には、「クラーク博士惜別の碑」が建立されています。羊ヶ丘や北大とはまた異なる、歴史の原点を偲ぶ静かな史跡スポットです。
まとめ:時代を超えて語りかける「大志」の真価
さっぽろ羊ヶ丘展望台で天空を指差す躍動の全身像と、北海道大学で歴史の風雪を見守り続ける孤高の胸像。2つの像は、形態こそ違えど、近代日本の黎明期に北の大地へ蒔かれた「自律と開拓の精神」を現在に伝える双璧の記念碑です。
単なる観光名所としての枠組みを超え、右手が指差す「遥かなる真理」に思いを馳せるとき、私たちが目にするブロンズ像はより一層の輝きを放ち始めます。旅のスケジュールや関心に合わせて訪れる場所を選び、150年の時を超えて響く博士のメッセージを肌で体感してください。 (出典: クラーク 博士 像(Yahoo!ニュース))