終売から7年、なぜ私たちは今も「126センチのグミ」の亡霊を追い続けるのか? 駄菓子界のオーパーツが2026年に投げかける問い

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終売から7年、なぜ私たちは今も「126センチのグミ」の亡霊を追い続けるのか? 駄菓子界のオーパーツが2026年に投げかける問い
終売から7年、なぜ私たちは今も「126センチのグミ」の亡霊を追い続けるのか? 駄菓子界のオーパーツが2026年に投げかける問い
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🎵 終売から7年、なぜ私たちは今も「126センチのグミ」の亡霊を追い続けるのか? 駄菓子界のオーパーツが2026年に投げかける問い

ひも qは、2019年夏に忽然と店頭から姿を消した。あれから7年の歳月が流れた2026年の今なお、深夜のタイムラインや路地裏の駄菓子屋の片隅で、その名を惜しむ声は止まない。口いっぱいに手繰り寄せ、友人と長さを競い合い、親や教師に「食べ物で遊ぶな」と幾度となく叱られたあの記憶。全長126センチメートルという、菓子としては明らかに常軌を逸したスケールを誇った一本のロープ状グミは、平成を駆け抜けた世代の身体感覚に、消えることのない深い爪痕を残している。

グミ市場がガムやキャンディを遥かに凌駕し、成熟期を迎えた2026年の日本において、駄菓子の棚にあったひも qの持つ圧倒的なバカバカしさとエンタメ性を真に継承したプロダクトは、実はまだ一つも登場していない。硬さの数値を競い、機能性成分や果汁配合率を誇る現代のスマートなグミたちを尻目に、空きパッケージがオークションやフリマアプリで工芸品のように取引される現象すら起きている。ただ食べるだけでなく「遊ぶ」という原始的な衝動を背負っていたあの細長い紐は、いかにして駄菓子という枠組を超え、カルチャーの象徴となったのか。

2026年、空前の「グミバブル」の中で失われた身体性

大手コンビニエンスストアの棚を見渡せば、そこはグミの百花繚乱だ。サプリメント顔負けのビタミン配合を謳うもの、極限まで硬度を高めて咀嚼音をコンテンツ化させたもの、高級フルーツの産地を冠した贅沢なジュレ入り。かつて子どもたちの小遣いを吸い寄せていた駄菓子コーナーの主役は、いまやオフィスワーカーの小腹とストレスを解消する「機能的な食品」として洗練の極みに達している。

だが、何かが決定的に欠落している。手首に巻きつけ、ほどき、時にはなわとびの真似事をして笑い転げたあの無秩序な体験だ。味を噛み締める前に、まずその異常な長さに圧倒されるという「体験の先払い」。現代の洗練された棚に並ぶ整然としたパウチパックからは、あの手のひらが少しベタつく感覚や、袋から引きずり出す瞬間の妙な高揚感は見当たらない。

製造終了の舞台裏:専用設備の老朽化という冷徹な産業の壁

明治が「超ひもQ」の生産終了を発表した2019年当時、その理由として語られたのは「製造設備の老朽化」だった。一見すると味気ない定型文のようだが、ここには駄菓子というビジネスモデルが抱える構造的なジレンマが横たわっている。

126センチもの細長いグミを途切れさせることなく、2色の味を均一に押し出し成型し続ける。これを1袋数十円という超低価格で全国に供給するための専用ラインは、当時のエンジニアたちの職人技と工夫の塊だった。汎用の成型機では決して代用が利かない。老朽化したラインをゼロから再設計し、数億円とも言われる新規設備投資を行うには、少子化が進む日本市場における駄菓子の単価はあまりに低すぎたのだ。技術の粋を集めたワンメイクのマシンが寿命を迎えた瞬間、あの紐は産業構造の隙間へと静かに沈んでいった。

デジタルネイティブによる「自作ひもQ」と3Dフードプリンタの熱気

しかし、失われた名作をそのまま過去に葬り去ることを、次の世代は拒絶した。2020年代半ばから、動画配信プラットフォームやSNSでは「超ひもQを自宅で再現する」試みが定期的にトレンド入りしている。自作の押し出し治具を3Dプリンターで造形し、ゼラチンとシロップの黄金比を割り出し、キッチンの端から端までグミを引っ張る配信者たちの姿は、もはや料理というよりサイエンスの実験に近い。

「子どもの頃には買えなかった長さを作りたい」「あのコーラ&ソーダのチープなケミカル感をどうしても舌で思い出したい」。画面の向こうで悪戦苦闘するクリエイターたちの熱量は、既製品を消費するだけでは満たされない現代人の飢えを如実に示している。完成した歪なグミを誇らしげに掲げる彼らの顔は、かつて駄菓子屋の前で100円玉を握りしめていた頃の少年のままだ。

「平成レトロ」の飽和点:なぜ復刻嘆願の署名は絶えないのか

平成カルチャーが「レトロ」としてパッケージ化され、アパレルや音楽で再解釈されるようになって久しい。だが、衣服やメロディが容易にデジタルリマスターされるのに対し、味覚と触覚のアーカイブは極めて脆い。デジタルデータとして保存できないからこそ、人々の記憶の中にある実物への渇望は純度を増していく。

オンライン署名サイトでは、数年おきに「ひもQ復活プロジェクト」のような活動が立ち上がり、数万筆の署名を集めてはメーカーへと届けられている。署名欄に並ぶのは、かつてのキッズたちだけではない。実物を一度も食べたことがない現役の中高生たちが「あの伝説のグミを一度でいいから手にとって伸ばしてみたい」と書き込んでいる。不在そのものが神話を育て、未体験の若者すら巻き込む引力となっているのだ。

機能性ばかりを求める現代に、強烈な「無駄の美学」を取り戻す

タイパ(タイムパフォーマンス)や効率性が叫ばれ、一口で高い満足感や栄養を得ることが美徳とされる2026年。その反動として、私たちは無意識のうちに「壮大なる無駄」を求めているのではないだろうか。126センチのグミを食べる行為には、効率など微塵もない。普通に食べるよりも時間がかかり、絡まり、時には机に触れてしまって母親に叱られる。

しかし、その無駄なプロセスの中にこそ、子ども時代の自由の本質があった。食べることを作業にせず、一口ごとに物語を立ち上げる余白。現代の消費者がひもQに抱くノスタルジーの正体は、味への愛着以上に、無駄を心から楽しむことが許されていたあの時代そのものへの憧憬に他ならない。

企業が背負う「思い出のコスト」と、未来への現実的なシナリオ

果たして、奇跡の再登板はあり得るのか。菓子メーカー関係者に取材を重ねると、かつてのような「全国の駄菓子屋で60円で売る」ビジネスモデルでの復活はほぼ不可能に近いという答えが返ってくる。原材料費やエネルギーコストの高騰が続く現在、あのスペックを維持したまま採算を合わせるのは採算性の壁が立ちはだかる。

だが、活路が完全に閉ざされたわけではない。クラウドファンディングを通じた限定生産、プレミアムな体験型エンタメ施設での限定販売、あるいは最新のフードプリンティング技術を用いたポップアップストアなど、新しいアプローチでの復活を模索する声は社内外から聞こえ始めている。「低価格の駄菓子」としてではなく、カルチャーを再体験する「イベント」としてなら、126センチの紐が再び私たちの前に姿を現す日は決して絵空事ではないはずだ。 (出典: ひも q(Yahoo!ニュース)

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