湯煙の巨塔が放つ異様な熱気――2026年、なぜ私たちは再び「登別 まほろば」に吸い寄せられるのか
登別 まほろばの自動扉をくぐると、外の刺すような冷気を一瞬で忘れさせる重厚な硫黄の香りと、巨大な吹き抜けを震わせる賑わいが押し寄せてくる。北海道屈指の温泉郷として名高い登別において、この宿が占める存在感は特異だ。贅沢な隠れ家でも、過度に先鋭化されたデザインホテルでもない。ここにあるのは、昭和から脈々と受け継がれてきた「日本の大型温泉旅館」という圧倒的なエンターテインメントの極致であり、2026年の今日においてもなお、国内外から押し寄せる旅人の喧騒を丸ごと飲み込む懐の深さである。
山肌から白煙が噴き出す地獄谷の遊歩道を歩き終え、冷えた手足を抱えてチェックインを済ませるころ、旅人たちが口々に称賛する登別 まほろばの地下大浴場へと自然に足が向く。エレベーターを降りた瞬間に広がる空間は、もはや浴場というよりは地底に築かれた巨大遺跡を思わせるスケール感だ。滑らかな石畳を踏みしめ、立ち込める湯煙の奥へと歩を進めるだけで、日常の雑音はどこか遠くへ消し飛んでしまう。
日本最大級を誇る「31の湯処」――地下に広がる圧倒的な湯煙の迷宮
圧巻、という言葉すら生ぬるい。地下1階と地下2階にまたがる大浴場には、合わせて31もの湯舟が並ぶ。滑り台を備えた家族向けの湯もあれば、檜の香りに包まれる本格的な浴槽、そして荒々しい岩肌を組んだ野趣あふれる露天風呂まで揃う。湯舟ごとに泉質が異なるのも登別ならではの贅沢だ。硫黄泉、食塩泉、単純温泉、酸性鉄泉――引き湯された4つの異なる源泉が、それぞれの桶に惜しげもなく注ぎ込まれている。
青みがかった乳白色の湯に肩まで浸かる。肌に絡みつく濃厚な成分。湯口から間断なく吹き出す源泉の音。見上げれば、外気で冷やされた湯煙が天井へと渦を巻いて昇っていく。これだけの規模でありながら、決して大味な管理に陥っていない。湯守の手によって湯温と鮮度が厳格に保たれているからこそ、肌を刺すようなピリリとした刺激のあとに、じんわりと芯まで染み入る温もりが持続する。
「三大ガニ」の咆哮、ビュッフェ会場で繰り広げられる北の味覚戦線
湯上がりの火照りを浴衣で包み、夕刻の食事処へと向かう。ここで展開されるのは、北海道の旬を余すところなく並べ立てたビュッフェの饗宴だ。会場の中央でひときわ目を引くのは、山のように積まれたカニの脚。毛ガニ、ズワイガニ、タラバガニ――いわゆる「三大ガニ」が堂々と並び、宿泊客が無言で殻を割る音がフロアに響き渡る。
近年の観光地で散見される「写真映え優先の実態不足」とは対照的だ。身の詰まったカニの甘み、目の前で職人が握る新鮮な北海の幸、そしてオープンキッチンから漂う焼きたてステーキの香ばしい煙。これらを好きなだけ皿に盛り、地ビールとともに流し込む。肩肘を張る必要はまったくない。旅先で誰もが一度は夢想する「北の食い倒れ」を、極めて実直かつ豪快に叶えてくれる場所がここにある。
インバウンド狂騒曲の先へ:2026年、国内客がここへ戻ってくる理由
外国人観光客の急増によって、全国の温泉地が急速なインバウンドシフトを遂げた近年の日本。しかし2026年を迎えた現在、目の肥えた国内の旅行者たちが再びこの大型宿に熱い視線を注ぎ直している。その理由は明快だ。多様な客層を受け入れつつも、日本の温泉文化の根幹にある「湯治と宴」の空気感を一切損なっていないからである。
過度なインバウンド特化で居心地の悪さを感じることもなく、かといって排他的でもない。多言語が交錯するロビーの片隅で、浴衣姿の老夫婦が静かにお茶を啜り、湯上がりの若者グループが生ビールのグラスを合わせる。異なる目的を持った旅人たちが、同じ湯と食の恩恵に浴し、不思議な調和を保ちながら共存している。この絶妙なバランス感覚こそ、幾多の時代を乗り越えてきた老舗の底力だろう。
改装を経た客室の静寂と、昭和の情緒を残す空間美
館内を巡ると、近年のリニューアルによって洗練された和モダンのフロアと、昔ながらの畳の香りが漂う純和風客室が巧みに共存していることに気づく。客室露天風呂を備えたスイートでは、静寂の中で登別の名湯を独占できるプライベートな時間が流れ、スタンダードな客室では障子越しに差し込む柔らかな光が旅愁を誘う。
廊下の絨毯を踏みしめる音、エレベーターホールの開放的な造り。細部に宿るどこか懐かしい意匠は、デジタル社会で疲弊した現代人の神経を穏やかに解きほぐす。部屋の窓を開ければ、冷涼な森の空気が流れ込み、遠くでかすかに響く川のせせらぎが耳をくすぐる。館内の喧騒から一歩客室に入れば、そこには徹底して守られたプライベートな静寂が横たわっている。
地獄谷の息吹を背負い、夜の温泉街を歩く愉悦
宿の門を出て数分も歩けば、登別のシンボルである地獄谷の入り口に達する。夜になれば「鬼火の路」と呼ばれるフットライトが遊歩道をほのかに照らし、立ち上る噴煙が闇の中に白く浮かび上がる。足元から伝わる大地の地熱。硫黄の噴気を肌で感じながら歩くこの夜の散策は、館内の温もりと冷徹な自然のコントラストを際立たせる。
温泉街のメインストリートには、木彫りの民芸品店や土産物屋、閻魔大王のからくり山車が並ぶ。カランコロンと下駄を鳴らしながら歩く人々の影。温泉地が本来持っていた「夜の情緒」が、ここにはまだ色濃く息づいている。冷えた空気の中で散策を終え、再び宿の明かりが見えたときの安堵感。それ自体が旅の忘れがたいワンシーンとなる。
「巨大旅館」の時代遅れ感を打ち破る、徹底した大衆性の美学
かつて「大型温泉ホテル」は、効率重視で個性に欠けると揶揄された時代があった。しかし、多様化と細分化が進みすぎた2026年の観光シーンにおいて、この宿が体現するスケールメリットは、むしろ得難い贅沢として再評価されている。31の湯を巡り、北海の味覚を腹いっぱい味わい、ゆったりとした畳の上で大の字になる。その単純明快な快楽に、小難しい理屈は不要だ。
大衆的であることは、決して安っぽさを意味しない。老若男女、あらゆる旅人の期待を真正面から受け止め、期待通りの満足感を与えて送り出す。その重責を毎日淡々と、かつ高い水準で果たし続けることの難しさを、この宿は誰よりも知っている。湯煙が立ち上る登別の谷あいで、巨大な湯宿は今夜もまた、訪れるすべての人の心と体を芯から温め続けている。 (出典: 登別 まほろば(Yahoo!ニュース))